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「誰も寝てはならぬ」

日本語詞:青井陽治 作詞:ジュゼッペ・アダミ、レナート・シモーニ 作曲:ジャコモ・プッチーニ 編曲:井上鑑
アルバム「」COCQ-83683(2004.11.25)所収。

早いものでトリノオリンピックで荒川静香さんが金メダルを獲得してからもうすぐ一年になる。この快挙は彼女がフリーの演技で使用した『トゥーランドット』を日本中で知らぬ人のいない有名曲に仕立て上げた。開会式ではルチアーノ・パヴァロッティさんがこのオペラの名アリア「誰も寝てはならぬ」を歌い、この魔法にかかって眠れぬ夜を過ごした日本人は数多かったことだろう。荒川さんもこの歌を聴いて運命的なものを感じたと述懐している。

パヴァロッティさんは1990年のサッカーワールドカップイタリア大会を記念して行われた“三大テノール”のコンサートでこのアリアを歌い、オペラファンのみならず広く一般の人々にその素晴らしさを知らしめた。その意味でスポーツには関わりの深い曲だといえる。

フィギュアスケートに関していえば、シェン&ツァオ組太田由希奈さんなどもこのアリアをクライマックスに用いた「トゥーランドット」で素晴らしい演技を披露している。最初に私にこの曲の素晴らしさを教えてくれたのはシェン&ツァオ組の演技だった。


本田美奈子さんは2枚目のソプラノアルバム「」でこの名高いアリアを歌っている。女性歌手による歌唱はかなりめずらしいはずだが彼女があこがれていたサラ・ブライトマンさんも1999年発表のアルバム「エデン」で歌っているのでその影響もあっての選曲かも知れない。

ダイナミクスをいかした表現が美奈子さんの歌唱を特徴づける一つの要素であることは多くの方が指摘していて、ここでも度々言及してきたが、本来はテノールのための作品であるこのアリアも特にそのことが感じられる力強い歌唱である。2005年1月30日放送の『題名のない音楽会21』に出演した際にも最後にこのアリアの鬼気迫る熱唱を披露しており、結局これが最後のTV出演となった。

美奈子さんの歌唱の素晴らしさとして、高音をどれほどフォルテで発しても決して威圧的には響かないということが挙げられると思う。高い音というのは心理的に威嚇的な効果を与えることがあり、小さな子供が癇癪を起こして裏返った声で喚き立てると大人でもたじろいでしまうといったことをどなたも経験されているだろう。鍛え抜かれたプロの声楽家の発声でも、高音をいかに正確な音程で歌っていても金属的で威嚇的な響きになってしまい少しもきれいに聴こえない、ということも少なくない。有名な『魔笛』の「夜の女王のアリア」などはモーツァルトがそうした効果を意図して利用して書いたのではないかと思われるふしもある。

美奈子さんの高音には常にある種のゆとりがあり、決してやさしい響きを失うことがない。それは高い音を出そうと無理してがんばった“金切り声”とは遠く懸け離れたものであり、たゆまぬ技術的な精進と歌にそのまま表出されるやさしい人柄の賜とみて間違いないだろう。


私はポルタメントの効果的な使用も美奈子さんの歌唱の特徴だと考えているのだが、この「誰も寝てはならぬ」もそれが顕著に表れた曲目の一つである。「やさしさ」、「愛に」、「勝利の日を」、「その日を」といった部分では音高を滑らかに移動させていて、それが歌にやわらかな雰囲気を与え絶妙の効果を上げている。

そして特筆すべきなのは美奈子さんは間違いなく歌詞の内容を明確に意識した上でこうしたテクニックを用いているということだ。美奈子さんにとってテクニックは決してそれ自体を目的としたものではなく、歌にこめられた思いを表現し伝えるための道具なのである。そのことが美奈子さんを歌手として輝いた存在にしているのだと思う。


日本語詞を担当した青井陽治さんはカラフ王子の愛の勝利という主題をいかしつつ、劇から離れた独立した歌曲として理解し楽しめるものとなるよう意を尽くしている。このアリアはカラフが自らの勝利を高らかに歌い上げる凱歌だが、闘争的な勝利ではなく愛の勝利を歌っているという点で女性にも共感しやすい曲のようだ。荒川さんの演技がまさにそれを表現した名演だった。ここに聴く美奈子さんの歌も力強い愛と平和への祈りが私たちの心を打つ。美奈子さんの言葉への鋭敏な感性と豊かな音楽性が結実した、素晴らしい歌唱である。

記 2007.02.06

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