「わがままジュリエット」
今月5日に発売されたBOØWYの二枚のベストアルバム「THIS BOØWY DRASTIC」と「THIS BOØWY DRAMATIC」に関連して、当時彼らがマイケル・ジャクソンの世界制覇を阻んでいたという記事が掲載された。このサイトでも少し前に布袋寅泰さんのことを扱ったところでもあり、この機会にBOØWYについて書いてみようかと思う。
BOØWY(“ボウイ”と読む)は80年代に活躍し、当時最も人気のあるロックバンドの一つだった。実を言うと私が生まれて初めて買ったCDは解散後に発売されたBOØWYのシングル集「“SINGLES”」だった。その頃はそれほど音楽に関心がなかった私でも彼らの音楽には惹かれるものを感じていた。当時は尾崎豊よりもむしろ上の記事にも挙げられている「Marionette」などに共感して聴いていたものだった。
尾崎が心の奧からの叫びをそのまま聴衆に投げつけるようにむき出しの情感を歌ったのに対し、BOØWYは同じく社会に対して反抗的ではあってももっと耳になじみやすい洗練された感覚を持っていた。それが幅広い聴衆に支持されていた理由だと思う。もちろん尾崎の歌にはBOØWYにはない深みがあるが、ロックバンドとしてのカッコよさではBOØWYは他の追随を許さない存在だった。あれから20年を経た今も彼らを超えるバンドは現れていないように思う。
ここでは彼らにしてはめずらしいバラードの名曲「わがままジュリエット」を取り上げてみたい。ギターによる短い序奏によりけだるく物憂い調子のこの曲は幕を開ける。歌詞は断片的な印象を綴り合わせたような感じで具象的な情景や物語を描いたものではないが、独特の言葉遣いの向こうに繊細で傷つきやすい可憐な女性の姿が思い浮かんでくる。
氷室京介さんのヴォーカルはこの女性に心惹かれながらも愛し方がわからずに戸惑うかのような男の悲しみをあますところなく描き出している。彼の甘い歌声はこうしたバラードにも、というよりむしろこうした曲にこそよく似合うと思う。「邪魔になれば」の‘ば’や「から回りで」の‘で’の箇所では普通日本語では用いることのない怪しげな母音で歌ってみせて聴き手の耳を驚かせる。彼の歌い回しにはいつもこうしたいたずら心が顔を覗かせるのが特徴である。「何一つ残ってないけど」の箇所でのファルセットもその表れだが、この部分には思わずゾクッとするような色気や哀愁が感じられる。80年代の男性ロック・ヴォーカリストによる印象的なファルセットとして、尾崎豊の「I LOVE YOU」における「悲しい歌に」の箇所と並ぶ双璧と言っていいだろう。
そしてこの曲のけだるく甘美な感傷は間奏のギター・ソロにおいて最高潮に達する。私はこの部分こそがこの曲の最大の聴き所だと思っている。布袋寅泰さんのギターはこの曲に横溢するメランコリックな情感を咽び泣くような調子で訴えかける。この印象的な美しいメロディーを聴くといつも胸が締めつけられるような思いがする。ロックにはあまり詳しくない私にとって、最も思い入れのあるロック・ギターのソロ・パッセージである。
BOØWYは上記の「Marionette」を含む「PSYCHOPATH」を最後のアルバムとして1987年12月に解散した。布袋寅泰さんはソロでアルバム「GUITARHYTHM」を発表しエディ・コクランの「C'mon everybody」をカヴァーするなど新境地を切り開いた。ただ私はその後の「POISON」などのヒット曲や今井美樹さんのプロデュースにどうも納得がいかなかった。私は今井美樹さんに関しては「瞳がほほえむから」や「PEICE OF MY WISH」など上田知華さんとコラボレートした曲がとても好きなのだけど、彼がプロデュースを手がけるようになってから音楽性が陳腐な方向に傾いてしまったような気がしてならない。
BOØWYの楽曲をあらためて聴くと、「つまらないことで騒動ばかり起こしてないで、またこの頃の志を思い出して欲しい」という思いを禁じ得ない。それともあのBOØWY時代の栄光は、布袋と氷室という二人の才能が出会った幸福な瞬間にだけ生じ得た、再現不可能なきらめきだったのだろうか。
なおAmazonのレヴューを見る限り冒頭で言及した2タイトルはファンの間で非常に評判が悪いらしい。何か一枚聴いてみたいという方は以下に紹介するベスト盤の方がいいかも知れない。
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