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「ヴォカリーズ」

作曲:セルゲイ・ラフマニノフ 編曲:井上鑑
アルバム「AVE MARIA」COCQ-83633(2003.5.21)所収。

本田美奈子さんは2003年5月にアルバム「AVE MARIA」を発売し、ソプラノ・ヴォイスによる歌唱で新たな表現の開拓に乗り出した。作詞家岩谷時子さん、サウンドクリエイター井上鑑氏の協力を得て新たなジャンルへの挑戦を始めた美奈子さんの歌声からは、歌う喜びと自らの表現をさらに広げようという強い意欲が感じられる。

アルバムをプロデュースした岡野博行氏によるとアルバム製作の基本的な考え方は、「歴史的な背景にはあまり囚われず、しかし奇を衒うのではなく、現代に生きる私たちの感性で素直に楽曲の素晴らしさに向き合うこと」だったという。


彼女が新たな挑戦の場に選んだこうしたジャンルは通例“クラシカル・クロスオーヴァー”と呼ばれることが多い。この領域に属するものとしてはアルバム2枚強の録音が残されているが、その中でも最も本来のクラシックに近い姿をとっているのがラフマニノフの 「ヴォカリーズ」だろう。

伴奏こそ管楽器主体の合奏に編曲されているもののソプラノパートは原曲の通り、新たに詞がつけられることもなく原曲の指定通り歌詞なしのヴォカリーズで歌われている。前半と後半の反復はどちらも省略されているが、作曲家自身の編曲・指揮によるオーケストラ版の録音でもやはり省略されているのでオーソライズされたカットとみなすことができるだろう。演奏時間は3分48秒で、上記のラフマニノフ自身によるものが3分51秒だからほぼ同じ。テンポ設定もオリジナルに忠実になっている。

美奈子さんは岡野氏と出会う以前から、すでに2000年3月20日、東京国際フォーラムにおけるサリン事件チャリティーコンサート『私たちはあなたを忘れません』で「ヴォカリーズ」を歌っていたという。その意味ではこの曲は「ソプラノ歌手本田美奈子」としての原点ともいえる作品なのだろう。

岡野氏の公式サイトアルバムジャケット撮影レポートには収録予定曲が12曲紹介されているのだが、実際発売されたものはこの中から「天国への階段」が抜け、オープニングの「流声」と「ヴォカリーズ」、「タイスの瞑想曲」が加わっている。「ヴォカリーズ」が当初予定されていなかったということはあるいはもっと歌い込んで満を持してから録音してリリースしたいという意図があったのだろうか。「天国への階段」が外されたのが「他の曲と微妙に雰囲気が違ったため」と説明されているので、逆に考えると「ヴォカリーズ」が加えられたのは他の曲とのバランスがよかったから、ということなのかも知れない。


この曲は器楽曲としては技巧的に比較的やさしく、それだけに演奏家自身の音楽性がストレートに表れやすい曲といえると思う。私にはこの曲をどんな風に聴かせてくれるかによって演奏家の品定めをしているようなところがある。

しかしオリジナルの声楽曲としては決してやさしい曲ではない。この技巧と音楽性とをともに要求される曲を、美奈子さんはいつものことながら全力で正面から立ち向かって歌っている。作品の真髄に肉迫しようとする強い意志の感じられる歌唱である。ヒップホップ全盛の時代にあってもひたすらのびやかなカンタービレを貫き通した美奈子さんの真骨頂を聴く思いがする。

ライナーノートの岡野氏の解説によると、美奈子さんの歌唱はテイクによって驚くほど様々な表情が生まれたという。ミュージカルの舞台でも演技の仕方がいつも違っていたという。彼女がいかにその場の雰囲気や自己の感興を大切にした表現者であったかを物語るエピソードといえそうだ。

なおこの岡野氏の説明を裏から読むと、アルバムに収録されたもののほかにもリリースするに足る水準のこの曲のテイクが存在する、ともとれる。もしそうなら今後何らかの機会を見つけてリリースして欲しいものだ。とくにコーダでは昇りつめた後に下降してくるところでややアクセントの置き方やルバートのかけ方に特徴のある歌い回しになっており、こうした部分が美奈子さん固有の解釈なのか、このテイクにだけ生じたニュアンスなのかといったところに興味がある。


いずれにしても私にとっても思い入れのあるこの曲を美奈子さんが愛唱してくれたことは実にうれしい。これからも大切に聴いていきたい録音である。

関連ページ

本田美奈子.さんを思って
美奈子ファンのpumpkinさんによる述懐
Jクラシック--- 岡野博行 Website
コロムビアミュージックエンタテインメントのプロデューサー 岡野博行氏のホームページ
ラフマニノフ 「ヴォカリーズ」 Op.34-14
原曲についてのsergeiによる解説

謝辞

この文を書くにあたってはpumpkinさんに上記の述懐を参考にさせていただいたのみならず、 美奈子さんのコンサートでの「ヴォカリーズ」歌唱についての情報をご教示いただきました。ここに記 してお礼申し上げます。ありがとうございました。

記 2006.06.06
改訂 2006.06.25
改訂 2006.09.05
改訂 2009.10.25

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