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「時 -forever for ever-」

作詞:岩谷時子 作・編曲:井上鑑
アルバム「」COCQ-83683(2004.11.25)所収。

晩年の本田美奈子さんが最も強い関心を抱いていた主題は“時”だった。そのことはアルバム「」のタイトルに如実に表れており、特に自ら作詞を手がけた収録曲「新世界」やタイトル・トラックの「時 -forever for ever-」の歌詞は時を主題としたものである。彼女が遺した言葉を元に作詞された追悼シングルの「wish」でも、やはり時が主題になっている。


美奈子さんにとって最後のオリジナル曲となった「時 -forever for ever-」は、美奈子さんが恩師の岩谷時子さんに名前の一字をとって時をテーマにした歌詞を作って欲しい、と要請して作られたものである。岩谷さんは美奈子さんの要請に、時の姿を果てしない宇宙を旅する孤独な旅人として描いた壮大なスケールの詞を以て応えている。

「新世界」や「wish」では、時は自らの人生のただなかを過ぎて行くものであり、自己の存在と不可分のものとして言及されている。それに対し、この「時 -forever for ever-」での時は「あなた」と呼びかける対象であり、自己の存在からは切り離された客体として描かれている。同じく時をテーマとして詞を書いても、師弟の間でこのように対照的な姿で描かれているところにこの二人の個性や思索のあり方の違いが表れているようで、興味深く感じる。

その一方で「優しさと愛で のり越えて行くのよ」というフレーズなどはいかにも女性らしい感性に溢れていて、こうしたところなどは美奈子さんと共通するものを感じさせる。取り立てて凝ったところのない平易な表現ではあるが、男性作詞家が女性の立場で詞を作ったとしてもなかなか書けない言葉ではないかと思う。

「正しい力を合わせて 生きよう」という一節には思わず瞠目させられた。「正しいものは何なのか」なんて誰にもわからなくなってしまったこのご時世では(尾崎豊が「僕が僕であるために」でこう問いかけたのはもう20年以上も前のことだ)、もはや口にする者がいなくなってしまった類の言葉である。これは岩谷さんのように豊富な人生経験と作詞家としてのキャリアを積んだ人でなければ敢えて用いることのできない表現だという気がする。

曲の最後は「いのちに終わりがある 私たち」という含蓄のある言葉で締めくくられている。このように私たちがやがて死すべき運命にある存在であるという事実を思索の契機とする考え方は古くからあり、「メメント・モリ」というラテン語のことわざなどは典型的である。この詞に関していえば私にはマルティン・ハイデッガーからの影響があるのではないかとも感じられるのだが、このあたり岩谷さんに尋ねてみたい気がする。

まあこうした細かい分析はどうでもいいことで、私がいいたいのは要するに、この詞が全編にわたって香り高い言葉の数々が散り嵌められた格調高い名品である、ということだ。この10月に作詞家として初めて文化功労者に選ばれた岩谷さんの、その偉大な業績の集大成というに相応しい、素晴らしい作品だと思う。


曲は美奈子さんの一連のクラシック・アルバムで編曲を担当していた井上鑑さんのオリジナルの作品である。「AVE MARIA」と「時」のオープニング曲である「流声」と「すべての輝く朝に」を別にすれば、美奈子さんが歌った唯一の井上さんのメロディーということになる。復帰作として用意した「wish」はついに美奈子さん自身によって歌われることはなかっただけに、その意味でもこの歌は貴重な作品である。

作曲にあたっては大御所作詞家である岩谷時子さんに詞をつけてもらうということでとても真剣に取り組んだという。サビのメロディーはいくつかのパターンを作り、その中から岩谷さんに気に入ったものを選んでもらったとのことで、そう聞くと選ばれなかったほかのメロディーがどんなものだったのかも気になってしまう。それはともかく、出来上がった曲は誰にも親しみやすい普遍的な美質を備えながら、美奈子さんの幅広い声域を生かしつつ、歌詞の壮大なイメージを背負うのに相応しい、力強いものとなっている。


美奈子さんはこの歌はまだ十分にうまく歌いこなすことができていないという意識があったようで、公の場で歌ったことはごくわずかしかなかった。おそらく自分にとってとても大切なレパートリーだという思いが強かったからこそ、自分の中で十分に熟成されるのを待ちたかったのだろう。

ただ、録音されたものを聴く限りでは他の曲の歌唱とくらべて特に見劣りするところはなく、いつもながらの美奈子さんの、可憐でありながら力強さのみなぎる渾身の歌唱である。強いていえば、高音域をフォルテで発する部分で日本語の発音がやや不明瞭になり、歌詞が聞き取りにくくなっているので、そのあたりに美奈子さんの満足のいかなかった点があったのだろうか、と想像をめぐらすことができる程度である。


近年クラシックとポピュラー音楽の境界を跨いだ活動は様々なアーティストによって盛んに行われているが、この曲はそうしたクロスオーヴァーが生み出した果実として最高峰のものといえるのではあるまいか。少なくとも私には、これに比肩し得るものとしては幸田浩子さんの「カリヨン -新しい色の祝祭にて-」しか思いつかない。

あまり歌う機会のないままに病気が発覚して活動を中断せざるを得なくなってしまったこともあり、入院中は特にこの歌を歌いたいという思いが強かったようだ。美奈子さんは自筆の手記でそう告白している。きっと今頃は、なにものにもわずらわされることなく思う存分この歌を歌っているのだろう。ファンにとって忘れることのできない日となってしまった今日この日、時の秘密をきっと探り当てていたに違いない美奈子さんとともに、私もこの世界のためにささやかな祈りを唱和したい。

世界に かぐわしい静かな日をください

謝辞

この稿の執筆に当たっては本田美奈子.STAR DUST CLUB !!に投稿されたきょろちゃん☆の書き込みを参考にさせていただきました。ここに記してお礼申し上げます。ありがとうございました。

記 2009.11.06

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