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「Time To Say Goodbye」

作詞・作曲:サルトリ、カラントット&ピーターソン 編曲:井上鑑
アルバム「AVE MARIA」COCQ-83633(2003.05.21)所収。ミニアルバム「アメイジング・グレイス」COZQ-147,8(2005.10.19)、ベストアルバム「クラシカル・ベスト〜天に響く歌〜」COZQ-255,6(2007.04.20)にも収録されている。

言わずと知れたサラ・ブライトマンさんの代表曲。元々は「Con Te Partirò」のタイトルでイタリアのテノール歌手、アンドレア・ボチェッリさんのために書き下ろされ1995年に発表されたが、サラさんとデュエットしたヴァージョンが世界的なヒットを記録した。この時にタイトルと歌詞の一部が英語に改められたようだ。今では事実上サラさんの持ち歌になっているといってもいいだろう。

楽曲は早口言葉風のレチタティーヴォとボレロ風のリズムによるアリアから構成される。聴く者の心を鼓舞するようなエネルギーに満ちた力強い曲である。


美奈子さんは2000年にシドニーで開催された日豪親善コンサートで、服部克久氏の薦めでこの歌を披露している。2001年の『ミュージックフェア』への出演でもこの曲を歌い、2002年に『題名のない音楽会21』に出演した際は布施明さんとデュエットし、同年末の『ベストテン2002』ではアカペラでひとふし歌ってみせて共演したサンプラザ中野さんらを驚かせている。

そして本格的にクラシカル・クロスオーヴァーでの活躍を始めた2003年、第一弾のアルバム「AVE MARIA」にこの曲が収録されることとなった。アルバム収録曲では唯一の外国語のみの歌詞であり、ほかの歌手の持ち歌のカヴァーと見做し得るのもこの曲だけである。その後のコンサートでも頻繁にこの曲を取り上げている。こうしてみると「Time To Say Goodbye」は美奈子さんのクラシック路線を象徴する曲の一つと言えそうだ。


美奈子さんはサラ・ブライトマンさんには強いあこがれを抱いていたようで、店頭でのイベントではサラ版のカラオケでこの歌を歌ったことさえあるそうだ。ミュージカルの世界で成功を収め、クラシックとのクロスオーヴァーの領域へと活躍の場を拡げていったサラさんは、美奈子さんにとって進むべき道のりを照らしてくれる灯し火のような存在だったのだろう。

そんなサラさんへの強いあこがれを象徴するのが逝去後にメモリアルとしてゴマブックスから発行された「天国からのアンコール vol.2 2006年のマリリン」の表紙に採用された写真である。この扮装、ナゴヤドームでのコンサートの時のものだそうなのだけど、明らかにサラさんのアルバム「La Luna」のジャケットを意識しているのだ。ほとんどサラさんになりきった“コスプレ”といってもいいかも知れない。美奈子さん自身が傑出した歌手なのだからそこまでしなくても、と思うのだけど、美奈子さんにとってはそこまでしなければ気が済まないほどあこがれた存在なのだろう。


これほどまでにサラさんにあこがれた美奈子さんにとって、ソプラノ・アルバムの第1弾に代表曲「Time To Say Goodbye」を収録したのは極めて自然なことだったのだろう。しかし一見相応しく見えるこの選曲は実際には両刃の剣でもあったように思われる。あまりにもサラさんと強く結びついて世に知られているこの曲をクラシカル・クロスオーヴァーでの活躍を始めた段階で歌うことになれば、“サラ・ブライトマンの追随者”と見做されてしまう可能性が高いからだ。

サラさんとは活躍の領域が重なるので何かと比較されるのは自然なことである。ただ、そこでしばしば「後少しでサラさんの域にまで届くところだったのに」といった評がなされるのを見ると悲しくなってしまう。こうした議論は美奈子さんのファン同士のやりとりにさえ見かけることがある。

美奈子さんは活動の期間があまりにも短かったし、世界的な人気や知名度ではサラさんに遠く及ばなかったけど、歌唱の質自体ではサラさんと比べて特に遜色ないと私は確信している。それだけに「サラさんのように成ろうとしたけど叶わずに亡くなってしまった人」というような形容がなされることがあるのにはやりきれない思いがする。ファンの間にさえこうした声があるというのはやはりプロデュースの仕方に原因があったようにも思われるのだ。


本格的にクラシックに取り組むにあたっては、むしろ逆にサラさんからの影響を意図して感じさせない方向でプロデュースするという選択肢もあり得たのではないかと思う。少し口はばったい言い方になってしまうけど、もし私が美奈子さんにアドバイスができるような立場にいたとしたら、シドニーのオペラハウスや『題名…』などで歌ったのはいいとして、ソプラノアルバムの制作が決まった時点でこの曲は一旦封印し、コンサートでのアンコールピースのような限定した形でのみ歌うようにしてはどうか、と進言していたかも知れない。

デビュー曲を「好きと言いなさい」から「殺意のバカンス」に変えたことについて美奈子さん自身アイドルとの差別化ができてよかったと語っていたらしい。“差別化”などというマーケティング理論の用語をどこで覚えたのか知らないが、デビュー当時に従来のアイドルたちとの差別化を意識していたのなら、クラシックを歌い始めるにあたってもサラさんなど先行のアーティストたちとの差別化をもう少し考慮してもよかったのではないだろうか。

美奈子さんとしては純粋にこの歌が好きだから歌っていたのだろう。そういう屈託のなさはその実力に比して人気や知名度が高くなかった一因にもなったと思う。打算や計略とは無縁の性格は芸能界の激しい競争を生き抜く上では欠陥だったともいえる。もちろん、そんな人だからこそ惚れ込んでしまうのだけど。

私の考えでは美奈子さんはサラさんともほかの歌手とも異なる独自の個性を持ったユニークなアーティストである。このことは強調しておきたい。サラさんが直線的で淡泊な表現で自身の透き通るような美しい声をじっくりと聴かせる歌い方だとすれば、敢えて下品なほどの濃密な表現に徹することでクラシカル・クロスオーヴァーの領域に独自の立ち位置を見出したのがフィリッパ・ジョルダーノさん。そして濃密な表情付けを施したうねるような歌い回しを聴かせながらなおかつ清楚な美しさを失わないのが本田美奈子さん、というところだろうか。


ただソプラノ歌手としてのセルフ・プロデュースのあり方はどうあれ、「AVE MARIA」を制作した時点ですでに美奈子さんにはわずかな時間しか残されていなかったことを思えば、美奈子さん自身愛したこの曲の正規のスタジオ録音やライヴ映像が残されることになったのは結果的に幸運だったとも言える。邪念を排して歌だけに耳を傾ければ美奈子さんらしい名演であることに違いはない。外国語の発音は決して得意でなかった美奈子さんだが、原則として語尾が母音になるイタリア語は比較的楽にこなせたのではないだろうか。“goodbye”の“good”や“partirò”の“ti”の母音を長く伸ばすルバート感覚などはとても日本的だと思う。


美奈子さんがこの曲をレパートリーとするきっかけとなった服部克久氏が美奈子さん逝去後のインタビューに答える中で「今聴くと、つらいね」とぼそりと述懐していたのが印象に残っている。これはおそらく英語のタイトルのことを指しているのだろう。しかしオリジナルのタイトルであり曲中何度も繰り返される「Con te partirò」という言葉はイタリア語で「君と共に旅立とう」という意味である。このことからわかるように、これは別れの歌ではなく出発の歌なのだ。これからはいつも美奈子さんがそばに寄り添っていてくれる、そんな思いを込めて聴いていきたい。

謝辞

この記事を書くにあたっては以下のページを参考にさせていただきました。ここに記して お礼申し上げます。ありがとうございました。

記 2007.05.06

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