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「Temptation(誘惑)」

作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:大谷和夫
シングル「Temptation(誘惑)」(1985.09.28)、アルバム「M' シンドローム」(1985.11.21)所収。現行のCDでは「CD&DVD THE BEST」TOCT-25857(2005.12.07)等に収録されている。

1986年のマリリン」がきっかけで本田美奈子さんから離れてしまった私にとって、最も懐かしい美奈子さんのアイドル時代の歌というとやはり「Temptation」になる。イントロの数小節が聴こえてきただけでもあの頃の甘酸っぱい思い出が甦ってくる。


美奈子さんが歌手デビューをした80年代の半ば頃はまさにアイドル全盛の時代だった。80年にデビューしてまたたく間に国民的スターへと駆け上がった松田聖子さんの圧倒的な人気が一段落したころに登場したのが美奈子さんの世代のアイドル達といっていいだろう。実に夥しい程の数の女の子たちがTV・雑誌を賑わせ、少年達の夢をかき立てたものだった。あの頃には三代にわたる『スケバン刑事』や“おニャン子ブーム”、岡田有希子さんの悲劇的な最期など、アイドルを巡る話題には事欠かなかった。現在とは隔世の感がある。

そうしたアイドル全盛の時代にあって、私が自分にとってのアイドルとして目した人こそ本田美奈子さんだった。それぞれに魅力ある多くの女の子たちの中で特に美奈子さんを選んで好きになったということについてはあの頃の自分を誉めてやりたい思いだ。当時は音楽のことなど全くわかっていなかったし、美奈子さんに歌手としてどれだけの素質があるのかなど見通せるはずもなかったのだが、それにもかかわらずこの人に惚れ込んでしまった自分は我ながら大したものだと思う。今にして思えばあのあまりにも愛くるしい笑顔に夢中になってしまったのは勿論だが、その澄んだ眼差しの奧に純粋でひたむきな人柄を直感的に見て取ったのだろう。

当時の音楽シーンを賑わせたアイドルたちの中で、その後も歌一筋に歩み続けてきたのは美奈子さんのほかに長山洋子さん、城之内早苗さんの名を挙げることができるくらいだろうか。もちろん斉藤由貴さんや南野陽子さんのように主に女優として活躍している方もいるし、スポットライトのあたる芸能界からは離れてもそれぞれの人生で輝いている人もいることだろう。それでもやはり脇目も振らず愚直に歌を続けて来た美奈子さんのひたむきな人生は一際美しく輝いているように思う。


美奈子さんは当時を代表するトップアイドルの一人ではあったが、かわいらしい外見に似合わず鼻っ柱の強い発言も多く、アイドルファンからはキワモノ的な扱いを受けていたようなところもあった。当時私の周りにはどういうわけかアンチ美奈子の友人が多く、美奈子さんへの思いを語り合う仲間を見つけることができずに孤独をかこっていたものだった。どうしてこんな素敵な人に恋してしまわない人がいるのか私には不思議でならなかったのだけど。

私は何といってもこの「Temptation」の頃の飾らない笑顔の美奈子さんがかわいくて大好きだった。それだけに次作の「1986年のマリリン」には幻滅してしまったのだ。当時の私には美奈子さんの溢れんばかりの才能と情熱が間違った方向に噴出してしまっているようにしか感じられなかった。さらにその次の「Sosotte」がまた「…マリリン」のヒットに気をよくして二匹目のどじょうを狙っただけの駄作に思えてついていく気力を失ってしまったのだった(今聴くともう少しまともな詞がついていればなかなかの名曲だったのでは、とも思えるのだけど)。

「…マリリン」は美奈子さんを音楽シーンの最前線に押し上げたが、私の周りのアンチ美奈子の友人達には格好の揶揄の対象でしかなかった。「…マリリン」から「Sosotte」にかけての頃は随分と友人達から“ゲテモノ好き“などとからかわれたものだった。美奈子さんを思う気持ちに変わりがなければ人から何をいわれようと構わないのだけど、私自身がこの二作には幻滅してしまっていて気持ちがぐらぐらと揺れ動いている状態だったのでこのようにいわれるのは実につらいことだった。私にとって“マリリン体験”はちょっとしたトラウマなのだ。


美奈子さんは同期のアイドルたちの中でも歌へのこだわりは群を抜いていて各種の賞レースでは常に先頭を走っていた。しかし最も大きな賞であるレコード大賞の最優秀新人賞は有力視されていたにもかかわらず逃してしまった。私は賞レースの行方には興味がなかったのでそのことはほとんど覚えてなくて、今その話題が出ても「そういえばそうだったか」という程度の感慨しかない。美奈子さんがその後歩んだ道のりを見ればそんな賞を逃したことが歌手としての経歴に傷をつけるものではないのは明らかだろう。

しかし美奈子さんが「…マリリン」のような極端な表現に走ったのはこの時の悔しさが原因だった、という見方もあるようだ。もしそうだとすれば賞を逃したことは美奈子さんの歌手人生に大きな影響を及ぼしたともいえそうだ。「…マリリン」は確かに爆発的にヒットして本田美奈子の名を広く知らしめることになったが、結果的には人々に一発屋的なイメージを与えることになってしまったように思う。そのことは今日に至るまで変わっていない。

もし「Temptation」がレコード大賞最優秀新人賞をもたらしていれば、この王道アイドルポップス路線がもう少し長く続いた可能性もあったのだろうか。歴史に“もし”はないのだろうが、もしそうなっていれば美奈子さんの歩んだ道のりも違ったものになり、私もあの悲しい別離も経験しなくて済んだのかも知れない。それを思うと当時ほとんど気にも留めていなかったあの出来事が痛恨の一大事であったようにも思えてくる。


振り返ってみると、美奈子さんを好きになったことで人生は私にとってよりつらいものになってしまったように思える。あの日の可憐な少女に恋をしていなければ「…マリリン」のヒットに傷つくこともなかったし、訃報に接してもこれほど悲しい思いをしなくて済んだだろう。ロシア民謡の「黒い瞳」風にいえば、「きっと私は不幸にも彼女に出会ってしまったのだ」ということになるだろうか。

それでもやはり、昔流行った歌のタイトルのように「好きになって、よかった」と心から思う。なぜならあの人がこの世界を深く愛していたことを思い起こすだけで世界はより美しく輝いて見え、あの人を心から愛しているということを認識することで自己の存在を少し誇らしく思うことができるからだ。もし叶うことなら、今はこの世の人ではなくなってしまったあの人に、万感の思いを込めて「あなたを好きになってよかった」と伝えたい。

記 2006.10.06
改訂 2007.08.02

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