「シシリエンヌ〜さくらの国」
満開の桜がそろそろ散り始めようとしている今日この頃、本田美奈子さんのレパートリーの中でこの季節に最もよく似合う歌というとやはり「シシリエンヌ」だろう。「風に散る花びら ノートにはさんで」という出だしで始まるこの歌、ブックレットのタイトルには副題として「さくらの国」という言葉が添えられており、桜の花をモティーフとした歌詞であることが窺われる。
原曲はフランスの作曲家、ガブリエル・フォーレの劇付随音楽、『ペレアスとメリザンド』の中の一曲で、フルートの独奏によって奏でられるシチリア風の舞曲である。作詞はいつもの通り美奈子さんの恩師、岩谷時子さんで、岩谷さんにとってこの舞曲は桜の花びらが舞い散る風景のイメージだったようだ。モーリス・メーテルリンクによる原作の筋立てを踏襲しようという意図はなかったようで、謎めいた象徴主義的な恋愛悲劇の影はこの詞に見出すことができない。15の時に出会った恋人がアメリカに去って行ったという設定はむしろどこかプッチーニの『蝶々夫人』を思い起こさせるものがある。岩谷さんは生涯を通じてあまり浮いた噂のなかった人だと聞いているが、桜にまつわる恋の思い出を歌う詞をこのシチリア舞曲に当て嵌めるに当たって、岩谷さんはどんな情景を思い浮かべていたのだろうか。
美奈子さんはやたらと臨時記号が多く、大きな跳躍もあったりするこの難しい旋律を少しの苦労の痕跡もとどめることなくさらりと歌いのけている。その音符を一つ一つ的確に掴んだ歌唱は舞い散る桜の花びらを丁寧に掬い取っているかのようだといったら凝り過ぎた表現になるだろうか。この歌を歌いながら美奈子さんの脳裏にはどんな情景が思い浮かんでいたのだろう?
編曲の井上鑑さんは後の「時」に収録された「風のくちづけ」と同様に伴奏に琴を用いている。桜をモティーフとした詞と相俟って、原曲にはない独自の幻想的な世界を形作っている。思えばヨーロッパの旋律に日本の象徴である桜をモティーフにした詞をつけ、邦楽楽器の伴奏によりベルカント的な唱法で歌うというのは実にユニークな着想で、まさにここにしかない音楽と言えそうである。
桜が散り切ってしまうまでは後少しというところだろうが、この歌を聴きながら今しばらく「さくらが咲く国」にいる幸せに酔いたいと思う。
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