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「新世界」

作詞:本田美奈子. 作曲:アントニン・ドヴォルザーク 編曲:井上鑑
シングル「新世界」COCA-15673(2004.05.19)、アルバム「」COCQ-83683(2004.11.25)所収。ベストアルバム「クラシカル・ベスト〜天に響く歌〜」COZQ-255,6(2007.04.20)にはこの音源とともにNHK交響楽団と共演した際のライヴ映像が収録されている。

本田美奈子さんの楽曲の中で新年に相応しいものを、ということで今回は「新世界」を選んでみた。原曲はアントニン・ドヴォルザーク(“ドヴォジャーク”という表記が原語の発音に近いらしいがここでは慣例に従っておく)の交響曲第9番「新世界より」、言わずと知れたクラシック音楽屈指の名曲である。ニューヨークのナショナル音楽院の教授に招かれてアメリカに渡ったドヴォルザークがアメリカ国民音楽の創成の礎となることを意図して作曲した作品で、ここで彼は現地の黒人音楽などに啓発を受けながらも、同時に故郷ボヘミアの音楽の特徴も織り交ぜて心踊らせる魅惑的な音楽世界を築くことに成功している。

美奈子さんが歌っているのは第2楽章で、美しい情感溢れる名旋律によりこの曲の中でも特に広く親しまれている楽章である。この楽章を歌曲にすることは古くから行われていて、1922年にドヴォルザークの弟子フィッシャーが「Goin' Home」という題の英語詞をつけて歌曲としたのものが有名になり、一時はドヴォルザークの方がこの歌曲を引用したという誤解が生じたほどだという。日本では堀内敬三作詞の「家路」(1932年頃)が有名で、「遠き山に日は落ちて」で始まる歌詞は広く親しまれている。あまり知られていないが野上彰も「家路」という題で詞をつけている(年代不詳)ほか、宮沢賢治も1924年に「種山ヶ原」という題の詞をつけているのだという。

美奈子さんが歌っているのはこれらのいずれでもなく、自身で新たに書き下ろした日本語詞である。「時は待たず 過ぎてゆく」というフレーズで始まる、“時”を主題として歌っていると推量されるその歌詞は、収録されたアルバムのタイトルなどとともに晩年の彼女がこの主題にいかに強い関心を寄せていたかを物語っている。途中の「消える心 持つならば/実る心 与えよう」という箇所などは難解で、美奈子さんは何を伝えようとしたのだろうか、と考えさせられる。


美奈子さんは2004年8月29日に行われた『N響ほっとコンサート』に出演した際に、岩村力さん指揮のNHK交響楽団との共演でこの「新世界」とガブリエル・フォーレの「シシリエンヌ」を歌っている。その時の模様はNHKの教育テレビ『N響アワー』で放送されたのだが、私は当時たまたまこれを見ていた。その前の週の放送を何も知らずに見ていて、最後に池辺晋一郎さんが「来週は歌手の本田美奈子さんが…」と話し始めたのに驚嘆したものだった。翌週の放送では二曲の歌声を堪能することができた。美奈子さんが歌っている姿を映像で見るのはそれこそ十数年ぶりだったけど、以前にも増して美しいその姿に陶然となって見つめていたのはよく覚えている。ファン歴に大きな空白のある私にとって数少ないリアルタイムでの美奈子さんの思い出である。

国内最高のオーケストラの一つであるNHK交響楽団との共演は美奈子さんのキャリアの中でも記念すべき出来事と言っていいだろう。フル・オーケストラの伴奏で聴く美奈子さんの歌声はまた格別である。もう少し長く生きることさえできれば世界のトップ・オーケストラと共演する機会にも数多く恵まれただろうと思うとあらためてその早過ぎる逝去が惜しまれてならない。

美奈子さんはこの二曲を“振り”つきで歌っていた。「新世界」の方はそれほどでもないが、「シシリエンヌ」はクラシックのコンサートとしてはいささか過剰とも思えるほどで、私も当時少し違和感を覚えたものだった。逝去後に一部で“おばかなダンス”などと揶揄されてもいたが、あの「1986年のマリリン」の振り付けで名を馳せた美奈子さんとしてはやらずにはいられなかったのだろう。今はそんなところさえ愛おしく感じられる。


この時の「新世界」の方の映像は昨年4月に発売されたベストアルバム「クラシカル・ベスト〜天に響く歌〜」に付属のDVDに収録された。すっかり忘れていたのだけど、これを見て編曲が大島ミチルさんだったことにあらためて気づき感慨を深くした。大島さんは現代の日本の映画やドラマの伴奏音楽の第一人者であり、吉永小百合さんの原爆詩の朗読の伴奏などでも活躍されている。ちょうど美奈子さんの亡くなった年、2005年の紅白歌合戦で詩を朗読する小百合さんの傍らでオルガンを奏でる美しい姿をご記憶の方も多いだろう。

この(容姿もその音楽も)美しい女性二人のコラボレーションがこうした形で実現していたことは感慨にたえない。と同時にこうした機会がもっと多くあれば、という叶わぬ願いにもとらわれてしまう。大島さんの衒いのない素直で品格の高い音楽世界は美奈子さんの伸びやかな歌声を支える伴奏としてまさに打ってつけだったはずで、彼女のアレンジによるオーケストラ版での美奈子さんの歌声をもっと数多く聴きたかった。


この「新世界」は新たな年の始まりに穏やかで平和な一年を願いつつ聴くのに好適な一曲と言えるだろう。美奈子さんの歌声で聴くこのクラシック音楽屈指の名旋律は聴く者に豊かで芳醇な時を与えてくれる。晩年の美奈子さんがきっと探り当てていたであろう時の秘密に思いを馳せながら、この音楽に浸る幸せを少しの悲しみとともにかみしめたい。

記 2008.01.06

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