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「SHANGRI-LA」

作詞:許瑛子 作曲:中崎英也 編曲:小林信吾
シングル「SHANGRI-LA」(1990.07.04)所収。現行のCDでは「ANGEL VOICE」TOCT-26255,56に収録されている。

今年の4月18日に発売された本田美奈子さんの東芝EMI時代の“メモリアル・ベスト”「ANGEL VOICE」には、DISC2として1990年頃にリリースする予定で制作されながらそのままお蔵入りになってしまっていた未発表アルバムが収められている。この“幻のアルバム”を聴いてまず感じたのは、あまりにも詞がつまらないということだった。ほとんどの曲はスリリングな恋の駆け引きを主題にしているのだろうということはわかるが、どれを聴いても情景や歌のヒロインの心情が生き生きと思い浮かぶようなことがなく、適当に場当たり的に言葉を当てはめただけとしか感じられない。こうしたいい加減な作りは聴いていて胸が痛む思いがする。美奈子さんは多くの優れた歌詞を残しているが、ここに収録された「GAMBLE」では周囲と歩調を合わせるかのように味気ない詞を手がけている。

曲調は全体に歌謡曲風のテイストのものが多く、長山洋子さんの歌を聴いているかのような錯覚に陥る瞬間が随所にある。この頃に演歌歌手への転向が真剣に模索されていたというのもうなずける気がする。その意味ではむしろ今聴いた方が新鮮に感じられるアルバムと言えるかも知れない。ただ逆に言うと当時もしこれがリリースされたとしても単に“陳腐”と見做されてあまり注目されることもなかったと考えられる。長期低落傾向にあった人気を回復する起爆剤にはなり得なかっただろう。美奈子さんは後に“WILD CATS”を解散してソロに復帰したこの頃が最も辛い時期だったと回顧している。「歩いてきた道が突然、ガケっぷちになって行き止まりになっていたんです」という言葉が伝えられている(「天に響く歌 - 歌姫・本田美奈子.の人生」)。このアルバムを聴くと“ガケっぷち”とはこういうことだったか、と得心がいく思いがする。アイドルポップスの延長線上で仕事をしている限り美奈子さんにはどんな未来も開けてはこなかったのだろう。

その一方で美奈子さんの歌唱自体は素直な発声でのびのびと歌っているのでとても心地よく聴けるというのもまた事実である。これよりも少し前の時期の録音では、例えば「孤独なハリケーン」では力強さを出そうとするあまり不自然な発声になっていたり、ソロ復帰第一弾シングルの「7th Bird“愛に恋”」ではブレスに入る直前でしゃくり上げるようなおかしな歌い回しが癖のようになってしまっていたりする。しかしこのアルバム収録の楽曲ではそうした不自然な力みや癖は全くなくなっており、自然な息使いで本来の歌唱力が遺憾なく発揮されている。その意味ではファンにとって十分に楽しんで聴けるアルバムになっていると思う。『ミス・サイゴン』での成功の下地はすでにこの頃に作られていたということがよくわかる。


この“幻のアルバム”に収録されている10曲のうち、「SHANGRI-LA」と「I〜私のままで」の2曲は先行シングルとして1990年7月4日にリリースされていた。さすがにシングルカットされただけのことはあって、「SHANGRI-LA」はアルバム収録曲中随一の存在感を誇る楽曲だと思う。

淡々とした歌い出しからサビの部分の盛り上がりへと至る楽曲構成の自然な流れが耳に心地いい。歌詞も身もふたもないと言ってしまえばそれまでだがほかの曲に比べると情景が容易に思い浮かぶ。美奈子さん自身「私っていやらしい曲が好きなんです」と語っていた(『ミュージックマガジン』1987年5月号)だけあって生き生きと歌っているのが感じられる。歌い出しでのやや蠱惑的な調子は長山洋子さんを彷彿とさせる一方、サビの部分でのドラマティックな高揚感は美奈子さんならではのものだと思う。

実を言うと最初にこの曲を聴いた時「ホテルから脱衣」とは変わった言い回しだな、ということが気にかかった。ブックレットで歌詞を確認すると正しくは「ほてるからだ 熱い」だとわかって思わず苦笑してしまった。あるいはこのことがアルバム全体の歌詞のクォリティに不満を覚える一つのきっかけになってしまったのかも知れない。

歌詞についてもう少し指摘すると、曲の最後で決め台詞のように使われている“Affection”という単語を辞書で調べると「“love”よりも温和で永続的な愛情を意味するのが通例」と説明されている(『グローバル英和辞典』)。形容詞形の“affectionate”にすると「(母、姉などが)優しい」という意味になる(同上)。この歌の世界にはあまりにもそぐわない言葉である。しかもこの部分、字足らずなので‘c’の後に母音を補って歌っている。アルファベット表記にしておきながら片仮名英語風に“アフェクション”と歌うのはいかにも格好悪い。まあ字足らずに関してはタイトルとなった“Shangri-la”の部分自体がそうなので言うのも虚しいことではあるけれど…。神経質なようだけどこうしたいい加減さはどうしても気になってしまう。

しかしそうした細かい言いがかりはともかくとして、この曲を含めてアルバム全体の美奈子さんの歌唱自体はとても充実しているので、ファンとしてはそれを楽しみながら聴くべきだろう。『ミス・サイゴン』前夜の美奈子さんの姿を記録した、貴重な音源である。

謝辞

この記事を書くにあたっては以下のページを参考にさせていただきました。ここに記してお礼申し上げます。ありがとうございました。

記 2007.09.06
改訂 2007.09.29

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