「impressions」再び
この曲についてはすでに一度書いているが、牧田和男さんから寄せていただいた情報を元にもう一度論じておきたい。
本田美奈子さんは東芝EMIからデビューした後マーキュリー、バンダイ、マーベラスとレコード会社を移っている。「impressions」はシングル「shining eyes」のカップリング曲としてバンダイ・ミュージックエンタテインメントからリリースされた。したがって当然マーキュリーから移籍した後に制作されたものと思っていた。しかし実際はマーキュリー在籍時に牧田和男さんのプロデュースにより制作されたものであることを牧田さんご本人からご教示いただいた。作曲の山梨鐐平さん、編曲の田代修二さんもともにマーキュリー時代に制作された「June」と同じ顔ぶれなのでどういうことなのかと訝しく思っていたが、これですっきりと疑念が解消した。
この曲はバンダイとマーベラス在籍時にリリースされた音源を集めたアルバム「I LOVE YOU」の収録曲の中で一際異彩を放っている。それは単にスキャットだけで歌われているというのみならず、曲を制作する姿勢そのものがはっきりとほかの曲と違っているように見えるのだ。だからこれが牧田さんによるプロデュースだと知った時は実に腑に落ちる思いがした。マーキュリー時代のアルバム「晴れ ときどき くもり」は丁寧に時間をかけて作られたものだった。ほとんどの曲で作詞家と美奈子さんが顔を合わせて話し合い、収録の際は一切つぎはぎを行わなかったという。そうした手作りのような味わいはこの「impressions」にも聴き取ることができる。
「晴れ ときどき くもり」の制作の状況からは、美奈子さんが歌手として喜びを感じながら取り組んでいる様子が伝わってくる。牧田さんをはじめとするミュージシャンたちとのコラボレートは、美奈子さんにとってかけがえのない幸せな時間だったのだとあらためて思わせられる。それが長く続かなかったことは残念でならない。移籍に至った経緯は明らかでなく、何か“大人の事情”のようなものがあったのだろうと推測するほかはないが、かえすがえすも悔やまれることである。
この「impressions」はマーキュリーではリリースの機会を得なかったために、移籍によってそのままお蔵入りになったとしてもおかしくなかった。それを他社音源の移譲という障壁を乗り越えてまでリリースにこぎ着けたというのは美奈子さん自身の強い意志がはたらいたものと思われる。美奈子さんを衝き動かしたのは牧田さんと過ごした日々への追憶であっただろう。
これと並行して録音されていたのが自ら作詞作曲した「満月の夜に迎えに来て」だった。逝去後にリリースされた未発表音源を集めたアルバム「優しい世界」の収録曲の中で、この曲だけはすでに生前から特殊な形でリリースされていた。その理由を私はそれが自作であるがゆえと思っていた。しかしこの曲がマーキュリー時代の作品であることがはっきりとするに及んで、美奈子さんは自作曲であるということよりもむしろ、牧田さんとの思い出の曲であるということにこだわっていたのではないかという思いを強くした。
全編スキャットでというアイディアは美奈子さん自身による発案だった。元々の山梨さんによるデモはほんのスケッチ程度のものだったそうだが、美奈子さん自身の歌唱による対位旋律と重ね合わせる凝った編曲と相俟って魅力的な楽曲に仕上った。後年のクラシックでの活躍の萌芽をここに見出すこともできる。今回あらためて聴き直してサビの部分での対位旋律に「June」に聴かれるのと同じ音型が現れるのを発見し、「June」と関わりの深い楽曲であることを再確認した。
収録の際は室内の照明を落として外の景色が見える向きに立って歌ったという。その時美奈子さんの胸のうちにあったのがどんな思いだったのかは、歌詞がないゆえに聴き手の想像に委ねられている。きっとこれからも聴く度にその時の心情に応じて様々な感慨に浸らせてくれることになるのだろう。
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