LIVE FOR LIFE in ASAKA 感想

朝霞は電車の乗り換えなどで何度か通りかかったことはあったのだけど,ゆっくり歩いたのは初めてだった。駅を降りるとありふれた郊外の町に過ぎないのだが、あの人が愛した町だと思うとそれだけで神聖な場所に思えてくる。

会場へは事前の予習のお蔭で迷わずにたどり着けた。立派なホールの周りは人でこったがえしているかと思いきや、意外に落ち着いた雰囲気だった。展示場に入ってまず目につくのがステージ衣装の数々。一番手前にある一際豪華な衣装は20周年を記念して用意しながらついに着ることのなかったもの。これを見ただけでも胸が締めつけられる思いだった。ほかにもアルバムジャケットやTV出演の映像で見慣れたものが並んでいた。どれもスカート部分はゆったりと作ってあるのだが、腰から胸にかけては信じ難いほどの細さで、あらためてこんな華奢な体であれほどの声を発していたのだということに愕然となる。その他のスペースは主に写真パネルと愛用の品々。何を見ても切ない思いがこみ上げてくる。


この追悼展のハイライトは貴重なライヴ映像の数々が盛り込まれたフィルムコンサート。荘重な気分になりながらホールに入場すると、中央の比較的前の方の席を確保。上映に先立って岡野博行氏の挨拶があった。美奈子さんと仕事をするに至った経緯や今回の追悼展、“LIVE FOR LIFE”の趣旨についての説明などが行われた。フィルムコンサートについては「美奈子さんは『20周年はノンジャンルで全国を駆け回りたい』と話していたのでそのことを意識した構成にした」とのこと。

その言葉通り、幕開けはこの日の会場と同じゆめぱれすで行われた「凱旋」コンサートでの「舟歌」から。可憐なソプラノヴォイスながら歌い回しは正に演歌そのものだった。オリジナルの八代亜紀さんのハスキーな調子とは違い、やはり私好みの細身の美人歌手、香西かおりさんを彷彿とさせる切なく儚げな「舟歌」だった。そのまま陽気な曲調に一転すると今度は聴衆の手拍子と一緒になっての「朝霞音頭」。お祭りなどで歌われる、朝霞市民にはおなじみの曲のようだ。美奈子さんの朝霞への愛情の表れなのだろう。

そしてここからがいよいよ本番ということらしい。比較的最近のスイートベイジルでのソプラノコンサートから「誰も寝てはならぬ」と「アメイジング・グレイス」が上映された。赤いドレスを身にまとい優雅に舞いながらの歌唱。「アメイジング…」はミニアルバムに付属のDVD収録のものと同じ映像だった。

次に紹介されたのは「Oneway Generation」をはじめとするアイドル時代のヒット曲の数々。使用されたのは『ミュージックステーション』に出演した時のスタジオライヴとのこと。ここでなぜ「…マリリン」がないのかと不審に思ったが、そのわけは後ほど判明する。このコーナーの最後は WILD CATS による「あなたと熱帯」。ビデオ『勝手にさせて』からの抜粋で、スタジオ録音の音源にライヴ映像を重ねたもの。

その次はいよいよ版権上の問題で目にすることが難しいミュージカルの映像。美奈子さんによる「オン・マイ・オウン」は先日発売されたアルバム「心を込めて…」で初めて入院直前のスタジオでの録音がリリースされたが、ミュージカルでのライヴ音源は未だにCD化されていない。この日流されたのは実際の『レ・ミゼラブル』上演の際の映像だったようだ。先日の「誰でもピカソ」で放映されたスタジオでのライヴよりもさらに充実した熱のこもった名演で、これを鑑賞できたのは貴重な体験だった。ほかに『クラウディア』からの映像も見ることができた。


ここまで淡々と内容について書いてきたけど、内心は聴きながら非常につらい思いをしていた。聴く者の心に突き刺さるような渾心の熱唱は、1階の展示で見たあの衣装を着られるようなか細い体から発せられているのだ。そしてその人はもうこの世にはいないということを感じながら聴くのはいたたまれないような思いにもさせられることだった。


しかしそのいたたまれないような思いも、新境地を切り開いたソプラノヴォイスによる歌唱が紹介されると少しずつ平静を取り戻すことができた。あの直後もそうだったけど、大切な人を喪ったどうしようもない悲しみをその人の歌で癒してもらうという倒錯した現象を、ここでもまた体験してしまったわけだ。

アヴェ・マリア」そのほかの歌は近作のクラシックアルバムからの音源と思われるが、それに収録時等の映像が重ねられ、あらためてあまりのかわいらしさに胸がキュンとなってしまう。

そしてここからがこのフィルムコンサート最大のクライマックスになる。野外でのコンサートの映像に「つばさ」のイントロが流れてくる。音響や録音の状態が非常にいいので、はじめスタジオ録音の音源にライヴの映像をかぶせているのかと思ったが、音声と完全にシンクロしているのでライヴの音源なのだと気づく。後で知ったところによると阿蘇山の麓の阿蘇ファームランドにおける服部克久氏主催のジョイントコンサートでの歌唱だという。晴れ渡った空の下で大好きな太陽の光を浴びながら美奈子さんが気持ちよさそうに熱唱を披露してくれた。声のつや、のび、魂をこめた歌い回し、どれをとっても最高に素晴らしかった。これまでに聴いたこの曲の音源の中でも一番の出来だったと思う。美しい阿蘇の風景も含めて心酔わせてくれる一時だった。

続いては2004年12月1日に行われたAAAでの「ジュピター」。噂には聞いていたが、これが凄まじい迫力だった。生きることの素晴らしさを全身で訴えかけるような力強い熱唱にほとんど度肝を抜かれてしまった。クラシックとのクロスオーヴァーに挑戦を始めてからの歌唱はスタジオ録音のほかいくつかのライヴ音源なども耳にしたが、この日はほかのものとは全く違ったレベルの鬼気迫る凄演だった。これが病気のために39度近い熱のある人の演奏なのだ。さらに驚いたのはそれに引き続いて「1986年のマリリン」を歌い始めたことだった。聴衆にサビの部分の「マリリ〜ン♪」を一緒にコーラスすることを要求しながらノリノリで歌うのを呆然となって聴いていた。一体この二曲を続けざまに、しかもそれぞれの曲想に合わせて歌うことのできる歌手がどれほどいるだろうか。

コンサートの最後はあまりの迫力に気圧されてしまった魂をやさしくいたわるかのような 「新世界」。スタジオ録音の音源だと思うが、驚きや喜び、深い悲しみの入り混じった感情を美奈子さんの歌声に慰撫される心持ちはまた格別だった。


唱法やジャンルを変える節目の心境を語るインタビュー映像や、遺された手記のナレーションをはさみながら美奈子さんの多岐にわたる業績を紹介するフィルムコンサートはこうして幕を閉じた。

45分にもわたって美奈子さんの熱唱を聴き続けて最後は腑抜けたようになってしまい、しばらくは立ち上がることもできなかった。この会場に美奈子さんも来ているのだろうかと思って途中何度かホールの天井を見上げてみたのだけど、生憎私にはその種の感覚が皆無で、何も見えなかった。モリクミさんなら私たちをやさしく見守る美奈子さんの笑顔が見えたのだろうか。

後ろの方の席からは「朝霞音頭」での手拍子や「マリリン」のコーラス、終了時の野太い声での美奈子コールが聞こえてきて感銘を受けたのだが、これは私が見た最後の5回目の上映時だけの演出だったようだ。その意味ではラッキーだったといえるかも知れない。このコンサートを複数回聴いた人も多かったようだが、私は一回聴いただけで精魂尽き果ててしまい、二回以上見るだけの強さはなかった。それほど充実した、素晴らしいフィルムコンサートだったと思う。


事務所のBOSSさんは大ホールへ入る際にみんなを出迎えるように階段の端に立っているのをお見かけして、心の中で会釈をさせていただいた。残念ながらお母様と妹さんはお見かけしなかった(あるいは気がつかなかった)。

お母様は美奈子さんの記念館を建てて欲しいという強い希望をお持ちのようだ。美奈子さんが歌にこめた思いを感じながらファンや朝霞市民のみなさんが憩えるような空間は私としても望むところ。何とかして願いが叶えられるよう、微力ではあるが協力して差し上げたいと思う。

今回のフィルムコンサートで使用された映像や音声は権利関係の処理が繁雑で、リリースするのが困難らしい。BOSSさんも苦慮されているようだが、「オン・マイ・オウン」と「つばさ」、 「ジュピター」の3曲は、稀代の芸術家本田美奈子の真の姿を世に知らしめるためにも、万難を排して正規のリリースにこぎつけて欲しいものだ。

「追悼展」は今後全国で実施されるという情報もある。今回参加できなかった全国のファンの方がこのような素晴らしい体験をする機会が与えられるよう、関係の方々にご尽力をお願いしたい。

記 2006.04.26
改訂 2006.06.24
改訂 2006.08.21
改訂 2006.11.23

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