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クルト・ザンデルリングさんの芸術

私の敬愛する音楽家に、クルト・ザンデルリングさん(“ザンデルリンク”と表記されることが多いが語末は濁った方がいいらしい)という指揮者がいる。このドイツ出身でソヴィエト連邦でも活躍した指揮者の生涯と芸術について、私なりにいろいろと思うところを述べてみたい。略歴など基礎的な情報についてはWikipediaの項目に記してあるのでそちらを参照していただきたい。


周知の通り、ザンデルリングさんは母親がユダヤ人だったためにナチスの台頭を機にソ連に亡命した。私はその経緯についてあまり詳しいことを知らず、何となくこの決断には彼自身が共産主義の理想に共鳴するところが大きかったのだろう、と漠然と考えていた。ところが少し詳しく調べてみると、彼はベルリン市立歌劇場のコレペティートルに採用されてまもなくナチスによってドイツ国籍を剥奪されるというところまで状況は悪化していたそうで、この決断はそういうのっぴきならない事情に迫られてのものだったようだ。亡命先にソ連を選んだのはおじがソ連に在住していたのでそれを頼ったということだったらしい。自分の意志ではなく巨大な運命の歯車に翻弄されての決断ということのようで、一人の才能ある若者をこのような苦境に立たせた歴史の残酷さに嘆息させられる。


こうして移り住んだソ連で彼はドミートリィ・ショスタコーヴィチと知り合いになるのだが、仲介した人は彼のことを「この外国人は話をしても大丈夫な人ですから」と言って紹介したという(吉田秀和さんのエッセイによる。吉田さんも何かの雑誌記事を参照していたのだと思う)。つまりショスタコーヴィチの周りには迂闊に本音を話してはならない人がいたということである。

このエピソードは当時のソ連の人たちが置かれていた状況を如実に物語っており、生々しい証言には慄然としたものを覚える。彼はドイツの新聞のインタビューに答えて、自分がショスタコーヴィチ作品の解釈において西側の指揮者よりも有利な点があるとすれば、それは作曲家本人と個人的に知り合いだったということにではなくて、彼が置かれていた状況を身を以て知っているというところにある、と語っていたそうだ。

こうした次第でザンデルリングさんにとってショスタコーヴィチ作品は極めて重要なレパートリーであるわけなのだが、興味深いのは交響曲全曲はレパートリーにしていないことだ。Berlin Classicsへの録音を集めたボックスセットには、全15曲のうち第1、5、6、8、10、15番だけが収録されている。ここに収録されているもの以外にも演奏したことのある作品があるのかどうか知らないのだけど、とにかく全曲を演奏していないのは確かである。

さらに興味深いことに、このボックスセットの曲目から判断する限りでは標題付きの作品や声楽を伴う作品を尽く避けているのである(第5番はよく「革命」などとも呼ばれるが、これは正式な標題ではなくニックネーム)。ショスタコーヴィチ作品が作曲家の置かれていた政治的状況と密接に関わっているということは理解しつつも、彼としてはあくまでも純粋に音楽作品として演奏したかったということなのか。このあたり、同じ境遇に生きつつも音楽と政治との関わり方について両者には微妙なスタンスの違いのようなものがあったのかも知れない。なお、彼の三人の息子たちはいずれも演奏家として大成し、単なる親の七光りではない独自の地位を確立しているのだが、このことも彼とショスタコーヴィチとの相異点といえそうではある。


彼がソ連時代に関わりを持った音楽家としてもう一人重要な存在がエヴゲニー・ムラヴィンスキーである。彼はレニングラート・フィルの副指揮者としてムラヴィンスキーの下で研鑚を積んだのだが、この二人の指揮者は芸風がやや異なり、特にテンポ感覚に大きな違いが見られるように思う。私はムラヴィンスキーについてはあまり詳しくないのだが、音楽が感傷に流れるのを嫌い、速めのテンポを鉄壁のアンサンブルで突き進んでいくタイプの指揮者だと理解している。それに対しザンデルリングさんはかなり遅めのテンポ設定を好み、音楽を自然な息使いで歌わせながら全体の構成を堅固にまとめ上げる手腕に定評のある指揮者である。

このように、ショスタコーヴィチにしてもムラヴィンスキーにしても、彼は偉大な先達から深く影響を受けながらも、独自の見識で自らの音楽を築いてきたことがわかる。そのいかつい風貌からは頑固一徹の性格というような印象を受けてしまうが、そうした外見とは裏腹の柔軟な姿勢がこの指揮者の魅力だと思う。


それからこれはピアニストのアナトール・ウゴルスキさんが新聞のインタビューに答えて話していたことなのだが、ウゴルスキさんはレニングラート音楽院でザンデルリングさんの息子さん(おそらく現在指揮者として活躍中のトーマス・ザンデルリングさんのこと)と同級生で、彼の家に遊びにいくとソ連ではめずらしかった西側の現代音楽の楽譜が置いてあって、それにとても興味を惹かれたのだという。

ザンデルリングさんはそれほど現代音楽に熱心に取り組んできた演奏家ではないと思っていたので、私にはこの話はやや意外だった。ただ、当時ソ連に在住しながらこうした音楽に関心を示すというのはかなりの危険を伴うことだったはずで、そうした状況の中でも世界の音楽事情に鋭敏にアンテナを張りめぐらせていたというのも、彼の柔軟な姿勢をよく示す事実だと思う。ウゴルスキさんはその後現代音楽を中心に活動することになり、そのためにソ連時代は不遇をかこってしまうことになるのだが、そうした道を歩むことになるきっかけがドイツからやってきたザンデルリングさんだったというのは実に興味深い運命の巡り合わせである。


その後彼は1960年に東ドイツへ戻り、ベルリン交響楽団の首席指揮者に就任した。このオーケストラを西側のベルリン・フィルへの対抗馬に仕立て上げようという東ドイツ政府から白羽の矢を立てられたのである。こうしてベルリン響は彼の下で世界的な楽団へと成長を遂げるのだが、1952年に設立されたばかりというこの歴史の浅いオーケストラを短期間のうちにそこまで鍛え上げるというのは、東ドイツ政府の国家の威信を賭けた支援があってのこととはいえ、実に驚嘆すべきことである。

そして彼は1977年に17年間務めたこのポストを離れ、フリーの立場で活動するようになった。ベルリン響とはその後も名誉指揮者として緊密な関係を保ったのだが、こういう身の処し方も実に見事なところである。中には長年にわたって一つのオーケストラに君臨した指揮者が最終的には楽団との関係を悪化させて気まずく離れていくという例も少なくなく、このザンデルリングさんとベルリン響のようなケースはむしろ稀有なことと言えるのではないかと思う。


こうした出処進退のさわやかさは引退の決断にも顕著に表れた。彼は90歳を迎えた2002年に指揮活動に自ら終止符を打ったのである。出処進退の全てを自ら決断しなければならない自由業である指揮稼業にあって、このように自らの意志で明確に期日を定めて活動に幕を降ろすという例も実はなかなかないことだと思う。音楽評論家の寺西基之さんは「まさに自分の芸術の高みを極めたところで潔く引退し、これ以上ないと思われる有終の美を飾った」と評している(学習研究社刊「クラシックCD エッセンシャル・ガイド150 指揮者編」)。

この発表を聞いたベルリン・フィルの首席指揮者、サイモン・ラトルさんは彼の引退を惜しみ、一つのコンサートを受け持つのが体力的に厳しいのなら前半と後半を自分と半分ずつ担当する形で活動を継続してはどうか、と申し出たという。この話は以前ラジオで彼の演奏のライヴ録音が放送された時に解説の方(どなただったか忘れてしまった)が紹介していたものである。彼は「聴衆にいい印象を残したまま引退したいので」、とラトルさんの申し出を固辞したそうだが、かつてライバルとして競い合ったベルリンの二つのオーケストラの元首席指揮者と現在の首席指揮者の間にこのような心温まるエピソードがあったとは、時代の推移を思うと感慨深いものがある。


ラフマニノフ交響曲第2番の演奏

私がこの指揮者のことを知ったのはフィルハーモニア管弦楽団と共演したラフマニノフ交響曲第2番の録音によってだった。まだクラシック音楽を聴き始めて間もない頃のことだったが、最初にこの作曲家の協奏曲を聴いて感銘を受け、交響曲の方も近年人気と評価が高まっていると知り、ぜひとも聴いてみたいと思って手に取ったのがこのCDだった。これを選んだのは、廉価盤であることに加え、ザンデルリングさんが作曲家の母国であるロシア(当時はソヴィエト連邦という体制だったけれども)で活動した経歴のある指揮者であることに惹かれたというだけの理由だった。

彼の経歴だとかどんな指揮者なのかといった予備知識は全くない状態で聴いたのだが、作品はもちろん、演奏も実に素晴らしかったので、この指揮者はすっかり私のお気に入りになったのだった。この曲はその後いくつもの演奏を聴いてみたのだが、私にとっては未だにこの録音がベスト盤になっている。


この演奏の際立った特徴はまず何といってもその長さである。第1楽章ではかなりのスロー・テンポの上に提示部を楽譜の指示通り反復しているので、この楽章だけで26分もかかっている。全体の演奏時間は67分となり、ライナーノートの諸石幸生さんの解説によると「この作品の演奏時間としては過去最長のものと思われる」とのことである。

もちろん、こんな美しい曲ならいつまででも聴いていたいと思う私にとって、演奏時間が長いことは少しも苦にならない。むしろ少しでも長く聴いていられるのは有難いことである。こうしたテンポ感覚が自分にとても合っていることは、この指揮者の演奏を好きになった大きな理由の一つである。

そして、ゆったりとしたテンポで旋律を存分に歌わせながら、全体を堅固に構築して楽曲の構成を明確に提示してみせる手腕もまたこの指揮者の特徴である。驚異的なまでの長さとなっている第1楽章でも、長い序奏から二つの主題の提示、激しく盛り上がる展開部を経て優美な再現部へと至る全体の流れが確固としてまとめ上げられているので、冗長さを感じさせるところは全くない。

この楽章の提示部の第2主題の最後にはチェロが極めて美しい旋律を奏でるエピソード的な部分があるのだが、ザンデルリングさんはこの旋律を反復も加えて二度たっぷりと歌って聴かせてくれている。この提示部の反復は完全全曲版による演奏が定着した今日でも省略されることが多く、第2主題のチェロの旋律は再現部でも再現されないので、この旋律がとても好きな私としては長さを厭わずに提示部を反復してくれるこの演奏は極めて貴重なものとなっている。

第2楽章のスケルツォ主題や終楽章の第1主題のように活気のあるにぎやかな主題でも、徒らに切迫感を煽り立てることなくどっしりと腰を据えて歩を進めて行く。こうした落ち着きは曲全体をより一層壮大に感じさせる効果を与えている。この録音を聴き慣れているので、私は他の演奏を聴くと速過ぎるように感じてしまうようになっている。

第3楽章に関しては他の演奏と比較して特に長いわけではなく、これよりも遅いテンポで長い時間をかけて演奏した録音もあるようだ。それはともかく、この有名な美しい旋律を豊かな情緒とともに香り高い風格を以て歌い上げる演奏は得難いものだと思う。静かな歌い出しで始まる中間部が次第に盛り上がりを見せ、それが最高潮に達したところで主部の再現へと至る音楽の流れを、ドラマティックでありながらも悠揚迫らぬテンポで自然な運びのうちに聴かせる手腕も実に見事である。

終楽章ではコーダの直前に、この楽章の第2主題に第2楽章の最後で提示された金管のコラールがかぶせられるという対位法的な手法が用いられているのだが、中にはこの部分の対位法の処理がやや曖昧になってしまっている演奏もあって、残念な思いをすることもある。しかしザンデルリングさんは対位法の効果を明瞭に浮かび上がらせながら、二つの旋律をこれ以上ないほどの雄大なスケールで壮麗に響かせて、この大曲の掉尾を飾るに相応しい感動的なクライマックスを築き上げている。


終楽章に一部カットがあるようなのだけど、楽譜の読めない私にはあまり気にはならない。カットの内容は伝統的に行われてきたものとは違っているようなので、過去の悪習を引き摺っているというよりは彼独自の見識に従ったものなのだと思われる。かつてはベートーヴェンの作品でさえ楽譜に手を加えて演奏することが普通に行われたのであって、ザンデルリングさんくらいの世代にとってはこうした態度は自然なことなのだろう。

それよりも重要なのは、彼がラフマニノフの交響曲を最も早い時期からレパートリーに採り入れていた指揮者の一人だということである。この曲はこれだけの内容を持つ作品でありながら、作曲者の没後しばらくは全く忘れ去られていた。今日のようなポピュラリティーを獲得したのは、ひとえにこの作品を熱い共感を以て演奏してきた指揮者たちの功績である。その中でも特にアンドレ・プレヴィンさんは完全全曲版を普及、定着させたことで名高いのだが、このザンデルリングさんも、この曲を忘却の闇から救い出した功労者として特筆すべき存在といえると思う。


この録音が行われたのは1989年の4月のことなのだが、諸石さんによると彼はこの年の9月にベルリン・フィルと共演した際にもこの曲を取り上げたのだそうだ。ここで気になるのは、この共演が行われた時期である。というのも、このわずか二ヶ月後にはベルリンの壁の崩壊という歴史的な大事件が発生することになるからだ。

彼がベルリン・フィルの指揮台に立つようになったのがいつの頃からなのか、とか、どの程度頻繁に客演していたのか、といったようなことをよく知らないので何ともいえないのだが、このような微妙な時期にかつてベルリン響の首席指揮者を務めたザンデルリングさんがベルリン・フィルの指揮台に立ったということは、あるいは東西融和に向けた何らかの象徴的な意味合いも伴っていたのではないかとも推察される。たとえそうではなく単なる偶然だったのだとしても、こうした歴史の分岐点というべき時と場所に極めて近接したところで、そのことに関わりの深い人たちの共演が行われたというのは、とても意義深いことのように思われる。

そして、こうした機会に演奏する曲目としてこの作品を選んだということは、彼にとってこの曲がいかに大切な作品であるかを物語っているようにも思われるのだ。やや穿ち過ぎた見方かも知れないが、そう考えると何となくうれしい気持ちにもなってくる。


早いものであの歴史的事件から20年が経ち、前述の通りザンデルリングさんもすでに指揮活動から引退されている。今はご自身の歩んだ道のりを回顧しつつ、悠々自適の日々を過ごしておられるのだろう。

激動の20世紀とはよくいわれる言葉だが、彼はまさにそのただ中を生きた歴史の生き証人である。激しい時流のうねりに時に翻弄されながらも、芸術家として一徹に、そしてしなやかに生き抜いてきた彼の人生経験が、この演奏にも凝縮しているように感じられる。

この時彼は77歳、その年齢にしてこのようなみずみずしい叙情がこぼれ落ちんばかりの演奏を聴かせたことは、まさに驚異的というほかない。20世紀の音楽芸術が生み出した精華の一つとして、貴重な記録である。

記 2009.11.28

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